見出し画像

牛飼い名人の才能に近づきたい気持ちが生んだ、牛のためのITシステム〜本川牧場 本川和幸さん【データ×酪農】~

大分県にある本川牧場は、1955年に開かれた小さな牧場が始まりです。1975年に現会長の本川角重氏が日田市の高台地域に移転し、1979年に法人化へ。酪農界ではいち早く、食品生産の過程で出る未利用資源の有効利用や循環型農業による地域貢献などに取り組みながら、その規模を拡大させてきました。2007年の現社長である本川和幸氏の入社後は、ITとクラウド導入による牛群管理や大学との共同研究などを通じて、牛の病気治療と予防に注力してきました。現在は、約4,500頭の牛と年間出荷乳量2万トン超を誇る大規模農場となっています。今回は、本川牧場の本川和幸社長に酪農とIT、データの関わりについて伺いました。

本川和幸さん(代表取締役社長)
獣医師として数年間勤務したのち、2007年にUターンし本川牧場へ入社。2017年に社長へ就任し、現在は美濃牧場で乳牛と食用牛の計約4,500頭、天瀬農場で野菜や牧草を栽培・出荷するほか、関連会社では飼料製造や牧草輸入等も行う。牧場業務に従事して以降、酪農界ではいち早くクラウドシステムやITを活用した取り組みを行い、独自視点での牧場経営に注力。近年では伝統的な酪農技術と最新ツールの融合による牛群管理を実現し、アニマルウェルフェアにも取り組みながら、健康な牛ならではの高品質な牛乳の安定供給を目指している。

■酪農業にデジタルツールを持ち込んだきっかけ

田邊:最初に、事業内容や経営理念について簡単に伺えますか。

本川: 美濃牧場で、メインの乳用牛による牛乳生産と和牛の繁殖飼育、天瀬農場では牧草や野菜類の栽培や市場出荷、飼料加工をしています。牧草栽培や輸出入、リサイクル専門の関連会社も運営しています。父が長年行ってきた地域や自然環境、衛生面への配慮、循環型農業といった基本理念はもちろんですが、近年は特に牛が健康で長く活躍できるための病気予防に注力しています。ITとクラウドによる牛群管理の導入もその一環になりますね。

田邊:スマート農業が言われるずっと以前から、ITに着目されてきましたよね。一般的にはITと酪農業と若干距離があるとされてきた存在だったかと思うのですが、こうしたアプローチを試みられた理由はなんだったのですか。

本川:家族経営の農場での当たり前を大規模牧場でも実現したいと考えたことですかね。私が牧場に戻ってきた2007年4月頃って、両親が牛の頭数を増やして規模は拡大していたものの、実際は病気の牛が多く、牛の状態もよくなかったんです。生き物相手の仕事でこれはいけないと。改善に必要な現場作業を整理して記録し始めたことが、そもそも土台にありました。母牛のワクチン接種一つとっても、仔牛が飲む初乳に感染症防止に必要な免疫成分である移行抗体(母から子へ移行し与えられる免疫物質)の種類と濃度を十分に確保するには分娩の21日前までの接種が必須、などと細かく基準があります。ICタグでの個体管理と紐付ける形で、1番は●日、2番は▲日と決め、1-A番の仔牛は何月何日何時の誕生で濃度●%の初乳を飲んだ、と記録していくんです。

田邊:何千頭分もその作業が並行するんですよね? 少しお伺いしただけで作業量の多さに気が遠くなりそうです。

本川:昔はこれを紙媒体でやっていて、PCの導入後も事務を担当していた姉をはじめ、数人の事務スタッフが入力作業をしていました。クラウドシステム導入の話が持ち上がったのは、私が戻って数年したくらいです。父がテレビで見て興味を持ち、導入しようと言い始めたんです。実は導入コストが安いと勘違いしていたようなんですが、それまでの姉の負担が大きかったことや複数のアプリにデータが散らばって使いにくかったこともあり、2010年に導入しました。
でも、私自身は獣医師として診療の仕事も並行して行っていたので、システム構築を含めた導入作業は本当に大変でした。たとえば、乳牛はお産で事故を起こさないよう体重管理をするので、乳量に合った餌の量を決める必要があります。ホルスタイン種であっても、乳量が多い牛と少ない牛で1日に約30klも違います。一元管理はとても無理なのです。そこで、うちのようなフリーバーン方式(柵で一定の区画を作り、その中で複数の牛を放し飼いにしている牛舎形態)の群飼育では、100頭前後の群をつくって牧場の区画ごとに餌のカロリーを調整する方法を選びました。でもそのためには群づくりが必要なので、基本能力や妊娠の有無、繁殖チェックの要不要など一頭ずつの要素を元に数十組分の編成を決めていったんです。

田邊:本当ですか! たとえば、牛に餌をあげるといった人の作業が、システムに言い換えるのであればそれが1アクションに当たるんですね。この記録を残す作業ですが、牧場経営の基本なのか酪農家の伝統なのか、それとも社長の獣医師経験によるものか、何から来ている基本なのでしょうか。

本川:一般的な規模の牧場の方だと、個々の牛の乳量や性格はみな頭に入っていると思いますよ。牛は大切なパートナーである一方で、その能力や生産量は牧場の経営と直結しています。冷たい言い方かもしれませんが、妊娠も搾乳もできなくなったらお別れが必要ですし、繁殖させてその分長く活躍してもらい生涯乳量を増やすことが酪農の基本なので。

田邊:なるほど。

本川:ちなみに、ある時期まで、遺伝による能力差や特性の研究データはあっても、現場での一頭あたりの生涯生産量は記録されていませんでした。今は搾乳機械も進歩してデータを取れるようになったので、そこはかなりの進歩だと思います。個々の牛のリスク回避の上で、たとえばどんな能力のある種雄牛の精液を使って掛け合わせればいいかという判断は遺伝子検査だけではまだできないので、現場での生産量や疾病データが必要なんですよね。

田邊:酪農家の基本思考というよりは、社長の獣医師の経験による影響が大きいという気もしますが……。

本川:いえいえ、一頭との対話や観察がちゃんとできている、家族経営の牧場さんであれば自然なことだと思います。大規模になればなるほど難しくなる牧場での基本を、データを使うことでいかに効率的に行うか。そのために使っているようなところがあります。乳牛は特に病気が多いので、多頭飼育であればあるほど疾病管理が欠かせません。普通の動物は出産したらその後の育児の分だけお乳が出ればいいけれど、乳牛は繰り返して出産し、そのたびにお乳を出します。ピークには1日70kgも出すのでカロリーの出納も激しくて、結果的に事故も起こりやすいんです。病気や事故の防止という課題にどんな管理が必要かを考えると、必要な行動も自ずと見えてくる。それらをシステムで整備したことが今に繋がっている感じですね。

獣医師の経験が生きているかはわかりませんが、本来の牛飼いがあるべき姿を探した結果かなと。ただ、システムに記録すると言っても、2011年と今ではやっていることはまったく変わっています。システムに記録する仕組みは同じでも、それにより人のできる仕事も変わり、変化に対応できるようになりました。

田邊:現場の皆さんとはどう連携されているんですか。

本川:データを扱うのは基本的にはマネージャーという職にあるスタッフですね。現場で病気が見つかっても、治療履歴の確認がすぐできますし、今後の治療をどんな方針で行うかがすぐ決められるのは大きいです。頭数が多いと報告をもらってようやく、その牛の治療の記憶を思い出すことも多いので。

田邊:酪農業でも業務や日常業務をデータ化したことで大きく変化しているんですね。獣医師の必要性とつながりが強化される中で現場の皆さんの作業内容も変わっていくというか。

本川:生き物を飼う環境をどうすれば改善できるかという話になった場合、コアの要素を持っているのが獣医師なんです。技術を追求されている畜産学のプロが身近にいればまた違うとは思いますが、現状だと業界内のコンサルタントといえば獣医師が多いですね。

■計算や科学では導き出せない生き物の不思議にどこまで迫れるか

田邊:ちなみに先ほど餌のお話がありましたが、記録したデータを活用して、配合を自動計算するような試みはされているのですか。

本川:残念ながら餌の設計はアナログです。あれこそ乳量や乳成分、気候や食べる量、コンディションなど牛の個性を理解した上でつくらないと。というのも、牛の第一胃の仕組みはまだ解明されておらず、この配合なら絶対だという正解がないからです。弊社では社外の専門家にお願いしていて、1つの要望につき5種類ほどの候補から話しあって決めています。数値的にはほぼ同じでも素材の比率が違うことも多いので、自動では決められないのです。

田邊:ビジュアルクリエイティブに近しいところがありますかね。

本川:こういう人ならではの感覚って、ある種ブラックボックスだなと。人が感覚を磨いて行っていた作業を機械化し、ロボットが自動で作業する。この流れは近代化に意味のあることですが、後で見た時に、なぜか一つ無駄な作業が入っていることってありますよね。製造業だと、昔の名人の一手間がいつの間にか「意味があるはずだけど誰もわからない」作業になることがある。この説明できない要素がどこまでも残り、1+1が10にも0.1にもなる世界である点が生き物と機械の違いです。
なぜかわからないけど昔からやってる、みたいな酪農業の技術もあります。乳牛ってなぜか分娩直後だけは味噌汁を飲むんですよ。その習性を利用して、分娩後の立ち上がりを良くするために、そこにビタミンや不足しがちな栄養素を加える方は多いですよ。これは近年、科学的にも効果が証明されたのですが。

田邊:面白いですね。生き物ならではの難しさもある中で、さまざまな挑戦をされているのがすばらしいです。一見データにできなさそうな要素を具体的に落とし込まれていく発想力も独特だなと。

本川:システム構築の時は、牛の1日を一工程としてカレンダーに置いて考えました。乾乳期を0スタート、子牛の誕生を1スタートと1日ずれではめていく。これなら工数が多い時期も正しくマネージメントできると考えたのですが、確かにこれはオリジナルな考え方かもしれませんね。

田邊:他にITと酪農の掛け合わせから生まれた先進的な取り組みはありますか。

本川:大学との共同研究で、牛の肉づきを示すBCS(ボディコンディションスコア)を分析して評価する3Dカメラの開発でしょうか。昔は人の目で評価していたので主観が入りがちでしたが、3Dカメラなら正確な数値が出せます。群を変えたり、カロリーの高い区画から低い区画に移したりといった飼育環境と連携していて、ビッグデータによる最適解が出る仕組みです。飼育環境のパラメーター変化や対応させる要素なども、仮の基準と期間を設定して評価と結果の検証をすれば適切な改善ができます。BCSは周産期病の原因を探る要素なので、客観的な数値で評価できるほうがいいんです。

田邊:なるほど、客観的な数値判断が必要な部分はITが最も得意なジャンルですもんね。

本川:そうなんです。3Dカメラもそうですが、父の思いつきからとはいえ、クラウドシステムを「牛を病気から守る」課題に活用したことは、今思えば消費者や生産者の利点にも繋がることだったんですよね。スマート農業やSDGsという言葉が広まる前でしたが、消費者の皆さんは健康な牛の牛乳や肉を食べたいだろうし、社員も就労時間の短縮や人員の効率化に繋がり、労務環境も自ずと安定しますから。

田邊:御社が「最新技術の現代酪農と昔ながらの飼育の両立」を掲げられていた理由がわかってきた気がします。

本川:データを使う利点は検証できること。感覚でピンと来たからといって、効果の出ないことに何億も資金をつぎ込むなんてあり得ませんよね。データがあれば検証してアップデートできるし、ここが鍵だという要素も見つけられる。あまり難しいことは考えていないですよ。

田邊:生き物が中心だと環境を急には変えることは難しいですし、時間をかけてやってこられたんでしょうね。

本川:それはもう。昔からうちで酪農に携わってきた方の感覚も変えなければいけないので、生産方針や体制を変えるのは大変でした。ベテランの人ほど昔からの手法を手放したがらないから、毎日のようにけんかしていました。体制を変えることが大変なのは当然ですが、それ以上に、よく資金が耐えられたなと今になると思いますね。病気を減らす目標はあっても、その段階ではまだ病気がある中で新たなサイクルを回すのだから、利益構成が悪化することをしていたんです。ワクチン接種や人の作業を増やしたことで人件費も増えました。でも、経営改善によってすべての牛が健康になるには時間がかかるものだと考えて、変化が出るまでの2、3年は我慢の日々でした。

■未来の酪農に向けたデータ活用と経営の形

田邊:それほどの難局を乗り越えられての今だと思いますが、未来に向けた計画や夢、目標などはお持ちですか。

本川:上手に世代交代できる準備をすることですかね。人を育てて、私が蓄積してきた経営や酪農の知見、感性や感覚の面も含めて次の世代に渡さなければと思っています。そのためにも、まずは350haある天瀬放牧地で30頭くらいの放牧搾乳をしたいなと。一つは未来の人材育成として、学生さんに畜産って面白そうだなと体感してもらう実習牧場にしたいんです。もう一つは社員研修の場として。弊社はもう縦割り作業なので哺育担当になると搾乳を学ぶ機会がありません。一通りの作業ができないとマネージャー業務もできないので、基本を横断的に学べる場所が必要なんです。30頭ぐらいなら1カ月もいれば全部に関われますからね。

田邊:先ほど仰っていたブラックボックス化しがちな、酪農に必要な感性や感覚を意識する第一歩にもなりそうですよね。

本川:結局は牧場も人です。働く人にちゃんとした知識を学んでもらう会社でありたいと思います。

田邊:2030年の酪農業界はどんな変化をしていると予想されますか。

本川:大規模農業か家族経営、ますます二極化すると思います。実は今は牧草の輸入代が高騰して非常に厳しい時なんです。これを防ぐには国内での餌の自給が一番ですが、牛は相当な量の牧草を消費するので、本州だと80頭育てるのも無理だと思います。かといって頭数が少なければビジネスに見合う供給力は保てません。だから大規模はより大規模、家族経営はより家族経営へと集約されていくんじゃないかなと。もう一つは、畜産や酪農におけるアニマルウェルフェアの重要性が高まると思います。これは動物の福祉という意味で、飼育する側が家畜がストレス少なく快適に過ごせるよう責任を持つことです。家畜の最期の話を先ほどもしましたよね。うちのように獣医がいる牧場なら苦痛を減らす麻酔処置などもできますが、今の一般的な畜産・酪農業の状況だと難しいかなと。とはいえ、アニマルウェルフェアができていなければ消費者理解が得られない時代は間違いなく来るので、意識の転換は不可欠だと思います。また、代替肉が一般化して牛肉があり得ないほどの高級品になるかもしれない。最後の代替肉はずっと先の話かもしれませんけど、いずれにしろ、農業者の基本である真摯な生産とそれに適した経営が不可欠だと思います。部署や人、世代が変わったとしても、変わらない品質の牛や牛乳を提供できる技術や仕組みを保ち、消費者に対する製造責任を果たすことです。

田邊:業種は違いますが、弊社も技術の会社なので、現状を基本に技術の品質を保っていくことが重要だというお話がすごく頷けます。最後の質問ですが、ご自身にとってデータとはどういう存在ですか。

本川:気づきをくれるもの、ですね。ただし、データがあるだけでは意味がなくて、本人が読み解こうとしなければダメです。データは参考になるし気づきもくれるけど、行動に繋げる段階で読み取る側の感覚や感性、言わばセンスがかなり影響するものでもあるなと。安定経営の指標として最も参考になるのはデータだとはわかりますが、とにかく次の世代がうまくその力を継いでくれるといいと思っています。

田邊:それは確かにそうですね。

本川:実は、私の母は牛を見る感覚がとても鋭かったんです。2007年に戻ってからしばらく、自分の目で牛をひたすら追いかけて読み解こうとしていたんです。でも全然わからないんですよ。ある日に母の言ったことが1週間後にやっとわかるような状況で。今思い出したんですが、牛を見る感性や感覚の土俵では母に勝てないと実感させられたことも、データ重視に向かわせた理由だったなって。
当時は、元気そうな牛全頭から採血して栄養状態を検査する代謝プロファイルテストを何度もして調べたり、餌の内容や量や乳量や乳質を細かく調べたり、獣医師しかできないカードをすべて使って、とにかく母のレベルに辿り着こうとしていました。でも、一通りやって気づいたことは「なるようにしかならん」でした。検査やテストである程度の段階まではいけましたが、結局、牛を見る感覚は追いつけなくて。でもその代わりに、感性や感覚に頼らなくてもいい部分が見えてきました。誰にでも水準を保って仕事を任せられる仕組みづくりができたという意味ではよかったのかもしれない。

田邊:お母様の目は長年の時間を経て磨かれたものだとも思いますが、社長は「なるようにしかならん」レベルまでの学びやその後の気づきを、データで補完されていったのかもしれませんね。

本川:牛をうまく飼いたいと思う人って、登山ルートは違えどみんな同じ山を登ろうとしています。母はなだらかな長距離ルート、私は険しいけど短距離ルートだったかもしれないですね。8合目を超えたら途端に牛が言うことを聞いてくれなくなったのは、自然や生き物にはまだ解明できない部分がそれだけ多いってことなんでしょう。
だからこそ、診療部の若い獣医さんたちには「獣医とは治療してお給料をもらう仕事ではなく、まずは病気を防ぐ仕事です。そのために正しい診断と必要ならば治療、集団の問題なら対策をしてください。病気が減って生産性が上がって牧場に利益が出た分がお給料になるんですよ」と伝えています。これは社員共通の考え方ですが、一般的な獣医さんは治療が仕事という発想を持ちやすいのでね。忙しくても会社には何の得にもならないと理解してもらいたいんです。

田邊:いろいろ考えさせられます。データは気づきをくれるものであり、会社の成長に関わるコアスキルを持つ獣医さんたちの稼働を減らす、言わば病気から牛たちを守るための指標にもなっている。

本川:現実を突き付け、気づきをくれるものこそがデータだと思うんです。でもデータに騙されないようにする意識も大事ですね。一つ数字を見落としたせいで真逆の結果になる場合もあります。分析は面白いですが、たくさんの人と見て検証することが大事だと思います。

いかがでしたでしょうか。スマート農業が話題になることも増えましたが、そのずっと前から課題解決のためにクラウドシステムを始めITツールを活用されてきた本川さん。そのきっかけの奥には、職人の才能と対峙する経営者の視点もあり、単なるデータ活用の枠に留まらない深いお話となりました。どんな取り組みをされるのか今後の展開も追いかけて見ていきたい。そんな気持ちにさせられた取材でした。

文 木村早苗
写真 高橋哲平